節約*キッチン
経験したからわかること


偉そうに食育、食の安全、フードコーディネーター、家族の笑顔、
なんだかんだとお話してきましたが、本当は偉そうに話せる立場ではないぴーこ。
そんな立派な食卓で育ってきたぴーこではないんですよ〜。


だからこそ分かったのが、食は大切だと言うこと。
食育が必要なんだと言うこと。


心のどこかにず〜っと引っかかりがあった幼少時代、
そして30過ぎたいい大人になってもまだ引っかかっているのが本音(笑)。


本当はぴーこのお話はするつもりはなかったんですが、
少しでもみなさんにわかってもらえたらと思い、ぴーこの体験談をお話しようと思います。



ぴーこの両親はぴーこが小さい頃から忙しい人たちでした。
とくにぴーこ父は毎日仕事で夜もいません。


帰ってきても疲れていて相手にしてもらえないし、家に帰ってきても仕事です。
仕事が趣味なような人だったので、休みなんてとりません。


ぴーこはひとりっ子なんです。兄弟も姉妹もいません。
父にも遊んでもらえないさみしい子供時代でした。


家族そろって旅行やのんびりすることもしない。
ぴーこ一家のんびり家族旅行に出かけたのは、ぴーこが23歳のとき。
それがはじめてで、それ以降も出かけることはありません。


個食と孤食を考えようでもお話しましたが、ぴーこ家ではみんなバラバラの食事をします。
それぞれ好きなものを好き勝手に・・・・。
祖母とぴーこ父は和食を好む人だったので、食卓には和食ばかり。


ぴーこが食べたいものなんて一切食卓にのぼりません。
無条件で和食です。


でも、子供の頃ってオムライスやカレーや、ハンバーグが食べたいって思いますよね。
そんなものもありません。


じゃあ、どこかで外食? そんなものもありません。


みんなで食事をするのが楽しかったのは親戚が集まるときだけ。
あのときだけは会話があったし、好きなものをリクエストできましたから(笑)
ここぞとばかり、好きなものを母親に言った記憶があります。


ぴーこ家では食事のときは会話なんてなかったんですよ〜。
どこか殺伐とした食事で、食事は黙ってするものだと思っていました。
そんな生活をしてきました。


だからかもしれませんが、10代、20代の頃は父が嫌いでした。
今思うと、どう接していいかわからなかったんですよね。
そして、今でもうまく話せないままでいます。 一緒に暮らしているんですけどね。

(今は平気になってきました 笑)



その延長でいつの頃か日本が大嫌いになってしまいました。
狭い社会、狭い親戚関係、狭い近所づきあい、家で無言の食事・・・・・・、
それらが日本嫌いを加速させるのです。


アメリカの大学を卒業したら1年間だけ就労ビザがおりるので、
そのままアメリカに滞在しようと思うくらい日本が嫌いでした。
あわよくばそのまま永住権を取得して、日本に戻るのをやめようと思ったときもありました。



アメリカに住んでいたころ、アメリカ人の家庭に住まわせてもらったことがあります。
高校のときと大学のときの2回あるのですが、
それぞれの家族が食事の時間をとても大切にする家族でした。


全員が席に座って、神にお祈りをするのです。

ぴーこに大切な試験があったら、
「ぴーこの試験が上手くいきますように」
とお祈りをしてくれるときもありました。


家族に良い報告があったり、何かを願うときは必ず神に報告と祈りをしました。
両家族とも熱心なクリスチャンだったので、食事の前のお祈りは欠かせません。


誰かの誕生日には親戚が集まり、感謝祭やクリスマスにはみんなが集まって、
のんびりと豪華なランチやディナーをしたものです。


ぴーこは日本人です。
でもね、一度だけユダヤ教徒の方に
ハニカパーティーと言うものに誘ってもらったことがあるんです。


ユダヤの方はクリスマスを祝いませんが、クリスマスににた盛大なパーティーを12月に行うのです。
ぴーこはユダヤ教徒でもなんでもありません。 ユダヤ教のことなんて一切わかりません。
ですが、招待をしてもらったのが心から嬉しかったのを思い出します。


「あなたは大切な家族のような人だから」
という招待状を頂いたときは、涙が出るくらい嬉しかったのを覚えてます。


外国にいると孤独を感じるのですが、誰かと食事をするのがこんなに楽しいんだ。
そして、一体感を感じることと楽しさと嬉しさを感じたのをきっかけに、
心のどこかに余裕を出てきました。


あんなに日本が大嫌い、家族が嫌い、父が嫌い!
そんな事を思っていても、ぴーこの味覚は母親が作ってくれた和食をしっかりと覚えているのです。


外国に住んでいると無性に和食が恋しくなるのですが、
ぴーこ母のつくる何気ない肉じゃがや餃子が食べたくなるのです。
その時ほど、
「いくら日本が嫌いとは言え、ぴーこは日本人なんだ」
と実感したものです。


ちょうどその頃、ぴーこ父がふらっとぴーこの住むアパートにやってきたのです。
ぴーこ父とふたりで一緒に過ごすなんてはじめてで、なんの会話をしていいかわかりません。


大学の話は先生に聞いたらしく(親ばかです)、状況は知っていました。
ただ、アパートを見ては、
「ゴハン作っているか?」
と偏食の父親に心配されたのを覚えています。


その時は理解できなかったのですが、ぴーこ父が帰って行った後、
もしかしたらぴーこ父も不器用で、ぴーこと何を話していいのか分からなかったのかもしれない、
そう思えるようになったのです。


ぴーこが夏休みや冬休みに家に帰ると、
「みんなが集まったんだから外食をしよう」
と和食屋さんに連れて行ってくれました。


おごってくれるのはおばあちゃん。
家族一家団らんで外食なんて、ぴーこが帰ってこないと無かったそうです。


ぴーこが家を離れたからこそ、ぴーこも家を離れたからこそ、
どこかできずなを感じていたんだなと思えるようになりました。
そう思えたら、どこかでぴーこ父がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ好きになったような気がするのです。


ですが、家に帰ってきたら前とおんなじ。
相変わらず忙しいぴーこ父、仕事で忙しいぴーこ。
ぴーこ母も仕事をしていたので、みんな忙しい日々。
ゴハンなんてみんな好きな時間に、みんなが勝手に食べていました。


その頃、ぴーこ父は家庭菜園や米作りにはまっていて、
そんな生活を当時付き合っていたぴーこ夫が羨ましがっていました。


「のんびりとしている生活がたまらない。
俺もいつか、米作りをしてみたい」

とぴーこ父と意気投合している姿を見て、
そんな生活を好きだと言ってくれるぴーこ夫に嬉しくなりました。


多分、ぴーこ夫がそんな人でなかったら、
結婚なんてありえなかったかもしれません。


結婚して、ぴーこ夫がうちで暮らすのを快諾してくれました。
ぴーこ父の希望でもあったし、夫もその気持ちをくんでくれたようです。


そして、今の生活があります。


不器用なぴーことぴーこ父、今でもどこかギクシャクしています。
そのクッションになってくれるのがぴーこ夫。
ぴーこ夫には全部打ち明けているので、理解をしてもらっています。


小さな頃遊んで欲しかった、どこかに連れて行って欲しかった。
そんな思いはありません。


ただ、同じ料理をみんなで楽しくつつきあいながら食べる、
そんな夕飯だけはして欲しかった、そう今でも思うのです。


だから、飲食店で働いているとき、
家族みんなで食べて笑顔がいっぱいのご家族を見ると嬉しいんです。

「あ〜、このご家族は幸せなんだ。良かった」って。


食事の時に笑顔があると、絶対に幸せです。
どこかに連れて行くことも、遊んであげるのも必要かもしれません。
でも、笑顔がなくちゃ家族は幸せじゃありません。


うちも、みんなで食事をしていたら変わっていたかもしれません。
そう、もうちょっとぴーこ父とは上手く付き合えたかもしれませんね。


だからこそ、食の大切さを知って欲しいのです。
ぴーこは食で嫌な思いをして、食で救われたようなものです。



そんな経験をしたからこそ、
食や食育の大切さをみなさんに伝えていけたらなと思っているのです。


ちなみにぴーことぴーこ父、今でもどこかギクシャクしています。
ですが、ぴーこ父は老いていき、ぴーこは本当の大人へとなっていっているのかもしれません。


今は喧嘩しても、ぴーこがなだめるようなくらい成長できました。
昔のぴーこだったら家を飛び出してましたから(照)


少〜しずつ、距離を縮めていけたらいいなと思っています。


それにね、最近はぴーこ父がつくるお米が美味しいって言われると
とっても嬉しくなったりします。
そして、このお米、父がいなくなったら食べられないんだなぁ〜なんて思うと
もっと大切に食べようと思うようになりました。

今しか食べられませんからね(笑)



食で孤独な子供を増やさないで下さい。
ぴーこからのお願いです。





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